「変化の大きさ」には個体差があり、変化そのものの内容も個々人でまったく異なります。
それは当たり前で、
同じ人間はそもそもいないし、
似たような状況だったとしても、それは似ているだけであって同じではない。
「違う状況の人たちが、それぞれのより良い成果に向かっていくときの変化」
これが同じ内容であるはずがないですよね?
でも個体差がない、すべてにとって同じことがあります。
それは自分の足で1歩ずつ歩を進めていっているということ。
この1歩の幅や進むスピードは完全にひとりひとり異なりますが、
【誰もが1歩ずつ進んでいる】ということは変わらない。
思い浮かべて欲しいのですが、「3歳児の歩幅」と「中学生の歩幅」はまったく違いますよね?
同じ距離を進むとき、ゴールへたどり着くためのスピードは当然中学生の方が速いです。
それは優劣ではまったくなくて、ただその時の精一杯なだけ。
中学生のスピードを見て、
隣を歩く3歳児は「自分も速くなりたい!」と思っても、
同じスピードでは進めないので置いて行かれそうな不安や、
進めていない(ような気がする)自分に焦りを感じることもあるかもしれません。
だけれどそれは大概無理な話で、
「歩幅も違う」
「スピードも違う」
のだから、始めから比べる対象とすらならないのですよ。
あ、優劣を比べるから対象とならないのであって、
違いを知るために検証する対象としてはOK!
比べて不安や焦りにさいなまれ、
その不安感から抜け出したくて無駄なエネルギーを使うくらいなら
今の自分の歩幅とスピードを知ることにエネルギーを使った方がいいです。
現在地の自分
現在の自分の歩幅
現在の自分の進むスピード
例え途中で疲れて立ち止まろうと、うちひしがれてしゃがみ込もうと、
変化はすべて自分の足で1歩ずつ進んでいっているのです。
これを知るだけでも、
「自分がまずはたどり着こうと思っているとなり駅まで、どのくらいでたどり着けるか?
に視点が向くので、不安や焦りに惑わされないで進むことができます。
回り道をするときもあるし、同じスピードで進めないときもある、それは人間であれば当たり前のこと。
【当たり前のことを当たり前と認識すること】
それがとなり駅までスムーズにたどり着くためのひとつの方法です!