恐怖心を煽って生まれる信仰心を神様は喜ぶか?

神様、龍神など、目に見えないお力をお借りすることを仕事としています。
くれや萌絵です。
当然すぎてあまり言う機会もありませんが、この仕事をする上で絶対的なNGは
「目に見えないご存在やエネルギーを理由にして、人を怖がらせること、恐怖心を植え付けること」
具体的には
「神様が怒ってる!だからこうしなければいけない。」
という類いのこと。

目には見えない世界ですし、受け取り方や感じ方はそれぞれ違います。
それは目に見えるものでも同じです。
同じ事実であっても、人によってこうも受け取り方が違うのかと驚いた経験はありませんか?
ましてや目に見えないものですから、違って当たり前。
講座の参加者さまには
「みなさんの感じ方を信頼し、採用して下さい!」
と常々お伝えしています。
ですがそれを、人を怖がらせる道具として使うのは、絶対にNGです。

神様が起こっているかどうかは別として、軽んじたり失礼なことはやってはいけません。
相手が神様ではなく人間でも、動物でも植物でも。
で、それを
「神様が怒ってるから」
ではなく、自分の言葉で伝えるのが最低限のルールです。
例えば子育て時代のあるある、小さい子供が電車やレストランの椅子に靴のママ立ち上がった時に
「だめだめ!ほら、あのおばちゃんがこわい顔して睨んでるよ!」
って叱るのNGやんね。
これと同じ事だと思いません?
それ、神様喜ぶかなぁ?

仮に言ってることが、ごもっとも!だとしても
神様のせいにしているにすぎません。
そこに自分の責任は存在しなくなるから。
恐怖心を煽って生まれる信仰心って、そっちのが私は怖い。

さまざまな捉え方があり、考え方があります。
それを間違っていると言いたいのではありませんが
恐怖心を煽る意見を聞いたとき、自分でそれを採用するかどうかを見極めてほしいなと思います。
何年か前、占い師で神社のお仕事もやっていた人(今は何をされているか知りませんが)が
「この前神社で、バチ当たればいいのに!と思った」
と(わざわざ)言いに来たので、一体何が?と聞いてみると
「本殿にお尻を向けて座ってた!神様にお尻を向けるなんて失礼な!!」
その本殿前の石段に座っていた人は、20歳ぐらいのカップルで、どちらかが外国の方だったそうです。
当時娘も同じ年頃だったので、疲れたからってちょっと腰掛けることもあるかも?
と思いました。
神社参拝って言うよりも、観光で来ている方もたくさんいらっしゃいます。
その姿を神様は苦笑いしているかもしれないけど、怒るかな?
もちろん参拝のお作法も、きっちり出来ればそれに超したことはないけど
マナーを知らずに失礼なことをして、神様がバチを当てるのなら
行かない方がいいってことになりません?
神様が怒っているのではなく、その人が怒ってるんやわ・・・と思うと同時に
こんな人(バチが当たればいいのに!って言う人)が神社や神様に関する仕事をしてるって
そっちが怖いわ!って思った記憶があります。
もしもほんとに神様が怒っているなら、バチが当たればいいのに!と言う前に
「歩き疲れた?神様にお尻を向けることになるから、
あっちのベンチで(石段など)で座った方がいいよ」
って、私なら教えてあげるな。

そんな場合私は、私が神様ならどう?と主体的に考えます。
例えば
「お守りをいくつもつけたら、神様がケンカするよ」
と聞いたとき
「例えば私がA神社の神様だとして、A神社のお守りとB神社のお守りを一緒につけてても
怒らない」
ので、そういう意見は気にしません。
それを怒られると感じる人は、自分取ってそれと同じ事があれば、いらっと来る人なんでしょうね。
例えばブティックをしていて
「うちのスカートにあの店のセーターを合わせるなんて!いらっ!」
ってようなこと。

物事の捉え方に正解や不正解はありません。
その人の捉え方が、その人の世界を作っているのだから、その人にとっては紛れもない正解です。
でもそれが、私の正解ではないことが往々にしてあります。
一人一人、感じ方や考え方が違うんですから、そりゃそうです。
だからこそ、自分で選ばないといけません。
神様や見えないご存在に関すること以外でも
誰かがこう言ってるから、と振り回されるのではなく
自分ならどうだろう?と考えて採用・不採用を決めていく。
それは、自分が自分の選択に責任を持つと言うことです。
自分で責任を取ってこそ、後悔しない生き方が出来ると私は思います。

♡くれや萌絵

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恐怖心を煽って生まれる信仰心を神様は喜ぶか?(この記事)
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