喪中の参拝について

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喪中の参拝は一般に言われる神社神道の世界ではNGとされています。

それは死というものがエネルギーの枯渇=穢れ(気枯れ)と考えられているためです。

その考え方にも一理あると思いますし、一般に広まっている喪中参拝の考え方でもあるので、ご自身がどうされたいか、そしてご親戚(特に身内の方)がどのように思われるかを考慮されることをおすすめします。

その上で神様が人間の死をどのように考えるかという視点から見たアテアメソッドでの
喪中参拝の考え方もお伝えします。

考え方には多様性がありますし、むしろ多様性こそ進化に必須なものですから、
あくまでもアテアメソッド®としての考え方であって、神社神道を否定するものではありません。

その点をご理解いただいた上でご覧ください。

神様は人間のことが大好きです。
好きだからこそ手を貸したいと思いますし、サポートをしたいと思って後押しをしてくださいいます。
人間だって嫌いな人や興味ない人に手を貸したいと思わないのと一緒です。

そして神様の中でもあなただけのマイ神様である産土神は、
肉体がある今世のみでなく死した後のあの世でも引き続きサポートをしてくれる存在です。

肉体が死を迎える前、その方の産土神は特有の状態で寄り添いながら、
その方が無事にあの世に向かえるように導いて行かれます。

簡単にするとあなたのマイ神様である産土神はあの世とこの世を橋渡しできる神様ということです。

そして肉体死である命日はあの世での誕生日です。
(ご家族の方がそう思えるまでには時間がかかると思いますが)

故人の命日は、故人の産土神社で故人のあの世での開運をお祈りすると喜ばれます。
実体験として私も身内の命日には、身内の産土神に祈りを捧げますが、
故人も故人の産土神も活力を得たと喜んでくれます。

産土神はもともとが死ということに関わる神様ですので、死を穢れと受け止めません

またその他の神様も大好きな人間が悲しんでいる状態に向かって
穢れているから会いに来るなとも言いません。
あなたも悲しんでいる友人に向かって、穢れているから…とはいいませんよね。
神様も同じです。

そもそもが大自然の巡行の中に身を置く神様方ですから、
人間の死ということも自然の巡りの一部です。

例え死が穢れとして、穢れた人間が参拝に赴いても、神様にはダメージを与えません。
それほど神様は弱い存在でもなく、また寄り添ってもらえない存在でもありません。

神様を人間と同じように感情在る生き物と感じてみてほしいと思います。

喪中に限らずですが、もしあなたが神様だったらどうしてほしいか?
そんな風に思いを向けて考えてみてほしい。

もちろんしきたりや作法をないがしろにして良いということではなく、
別の側面から見て、自分はどうしたいかという質問をして、自分の答えを都度見つめてくださいということです。

それぞれ答えは違うと思いますし、違っていていいのです。
それがあなたという個性ですから。

私もこういう仕事をしていますので、主人が亡くなったときや身内が亡くなったときに参拝するかを迷いました。

それでも故人だったら何というかな…とか、故人の産土神はなんと言っているだろうか…とか、
総合的に検討し、今まで喪中だからと参拝を延期したことはありません。

そしてその都度、故人の産土神にも喜ばれ、逆に私自身が勇気をもらってきました。

これは喪中をどう捉えるかという考え方にもよりますし、
目に見えないものを信じないという話にも発展できる話です。
(しかし目に見えないものを信じないのであれば、喪中云々は最初から関係なくなります)

何度も書きますが、様々な側面から見る。
そしてご自身なりにどうしたいかを見つめる。
その上で行動する。
その時、周囲のお身内の方々の感情や想いも考慮する。

必要なことはこの4つです。

様々な側面のひとつとして、アテアメソッド®としての喪中参拝の考え方も
考慮に入れていただければ幸いと思います。

※「アテアメソッド®」は株式会社アテアの登録商標です。