「八朔(はっさく)」、八月朔日の略です。
旧暦の暦月は新月(朔)の日に始まるので、暦月の1日は必ず「朔の日」、
8月の1日なので八朔といいます。
朔」という文字、「逆」や「遡る」などと似たような造りを持っています。
朔の日の月は新月ですから、肉眼以外観測手段がなかった大昔にはこの日を求めることができませんでした。
ではどうやってその日を知ったのか。
月が最初に見えた日(二日月、もしくは三日月)から、遡って知ったのです。ですので、月の一日、新月の日を朔日と呼びます。
旧暦の八朔の頃は、現在の9月上旬ごろにあたります。
この時期は、早稲(わせ)の穂が実る大切な時期ですが、台風や害虫、鳥の被害を受けることも多いため、農村では、八朔に豊作を祈願する儀礼が行われていました。
この時に収穫前の初穂(はつほ)を神様にお供えしていましたが、元々は文字通り稲(を含む穀物)の穂であったものが、後にその年に初めて獲れた野菜や海産物、狩の獲物、さらには金銭を神仏に供える場合も初穂と呼ぶようになりました。
今日神社におさめる金銭のことを「初穂料」と呼ぶのはこれに由来します。
豊作祈願の一方で、初穂すなわち「田の実」が=「頼(たの)み」に転じ、互いに助け合って共同作業をする農村で、相互の結びつきを強めていくため、親戚間や付き合いのある家どうしで贈り物を交わすことが習慣になっていったとみられています。
この農村で行われていた贈答の習慣が、鎌倉時代以降、武家・公家社会で主従関係を確認強化するために「頼(たの)む人」(庇護者)へ贈り物をすることが一般化していきました。
室町幕府では公式の行事として採用され、関東を治めた鎌倉公方には関東の諸大名や寺社から刀剣や唐物、馬などが献上され、鎌倉公方からも献上者に対して御礼の品となる刀剣や唐物、馬などが下賜されていました。
また、徳川家康が豊臣秀吉から新しい所領として与えられた江戸に、天正18年(1590年)8月1日、八朔の日を選んで入城したことから、江戸幕府はこの日を正月に次ぐ重要な祝日とし、旗本や大名、大奥の女性たちが、白帷子(しろかたびら:五行説からくる秋の色=白)を身に着けて八朔儀式にのぞみました。
伊勢神宮には、古くから朔日参り(ついたちまいり)といって、毎月ついたちにいつもより早く起き、無事に過ぎた1カ月のお礼と、新しい月の無事を神様にお祈りする風習があります。
八朔の日は特に「八朔参宮」といって、稲や粟の初穂をもって伊勢神宮を参り、五穀豊穣を祈願するようなことも行われており、参拝者も多く、今も夏の伊勢の風物詩となっています。
こうして八朔について調べてみると、五穀豊穣=この後に来る実りを祈願する「前祝い」の日と言えます。
現在の私たちにはあまりなじみのない「八朔」
八朔の風習やご神事は、旧暦で行われているものがほとんどです。
ですが私たちが現実に使っているのは新暦です。
大勢で意図すると、エネルギーは動きます。
新暦での8月1日に、活かしていく意識を持つといいですね。
みなさなの願い・望みが、豊かに実りますように。