くれや「気のせい」もアリエルという目線。

半袖からいきなりフリースで家族い苦笑されてます。

こんにちは、アテアのくれや萌絵です。
つい数日前にはバリにいて、暑い日々を過ごしていたのに
一気に涼しくなりましたね!

秋はバラの季節でもあり、毎日ベランダに出るのが楽しみな日々到来♪
うっとりする美しさです(≧▽≦)

img_9130img_9126

ゆっくりバラを眺められる余裕があるのは内勤日ならでは!
ここ数日内勤日が続いてますが、アテアは8名基本的に自宅勤務です。
なので業務連絡は、主にビジネスチャットでやり取りしてます。

プロジェクトや案件毎にスレッドがありますが、その中に「マイチャット」ってのがあって
覚え書きや、パスワード情報、なくしてはいけないファイルをアップしたりしてます。
不要になったものを整理しようと遡っていたら
こんなメモが保存してありました。
日付は2013年11月16日、約3年前。

神様は人間の器官としての目からは見えないから、いないという認識もありです。
そもそも神様に対してどのように考えて対応するかも、その人自身の問題だから、
いるとかいないとかも自身の考えでいいのです。

ただ神様に関することでなくても、いるならいるの、いないならいないの
両方の可能性は常に検証してみるのは大切ですね。

個人的に神様という種族に関しては、30年以上検証してきて、私は存在するというスタンスです。

そして今も都度、いるといないの両極からその間の検証をしています。
気のせいのこともありますから。

私が何か質問をした返信だったと思うのですが
変わってないぁ・・・って思いました。

「気のせいのことも多い」

こう思えるかどうか、です。
だからこそ、そうなのか・そうじゃないのか、両方の検証ができます。

神様は、様々なサインやメッセージを下さいます。
それをどう受け取っても、個人の自由。

例えば龍の形の雲を見て、今気になってることのGOサイン!だと受け取り
それで「よし!頑張ろう!!」って思えるならいいよね。

けれど、それを仕事にしている私たちは
「本当にそうなのか?」
を常に検証する必要があります。

現実を見つめる目、です。

神様はいる。
そこに疑いはなくても、自分が今受け取った事を
まず自分自身のその後で検証したものでなければ単に気のせい。

私が主婦から現在に至るまでを連載で書いた
「アテアまでの道のり」記事を読んで下さった方から
「スピリチュアル嫌いだったんですね!」
と驚かれますが、現実を見ないのが嫌なだけ。
この視点で常に自分の現実を見つめる大杉が
素晴らしい~!と思ったんですよね。

あと余談ですが、自分の能力を「すごい」とか言わない(書かない)ところも。笑
ストレートに「すごい!」って言葉を使わなくても
はいはい、自分が「すごい!」って言ってるんやんな?ってところが
大杉には微塵もないのも好み(笑)です。

話は戻って・・・
自分の感覚を信頼することは大事ですが
それと
「気のせい」ってこともあり得るアリエル。
って目を持つこと、そしてそれが現実としてどう変化したのか?確かめていく真摯な態度。
両方あってのこその「信頼」です。

もっと砕けて言うと
鵜呑みでも、頭ごなしででもない
って意味です。

このメモを見て、大杉アテアで仕事が出来ること
(年下ですが)良い師が持てたことに改めて感謝しました。

鵜呑みでも、頭ごなしででもない
その必要性は神様の声に限らず、生きていく上での日常にもあふれてます。